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信濃三十三観音霊場 全地図


南下−01地図
(菩提院・小菅神社・阿弥陀堂)

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尺八を携え巡った信濃33観音霊場記



 ネットで下調べしてた時に、小菅の観音堂近くの山に「小菅神社奥社」と言うのがあり、それなりに古くて有名な神社らしい。
小菅神社奥社 入口

 そいでもって山の上に有る「奥社」へ行くまでの参道は杉並木で、「西の戸隠」という別名も有るほど、知ってる人は知っており、知らない人は全く知らない隠れた名所だそうな。


 昔、戸隠神社の奥社まで上がった事があり、確か立派な杉並木が有ったように思い、きっとそれに匹敵する位の杉並木なんだろなぁ・・と勝手に想像しました。


 ただし、この「小菅神社 奥社」までは歩いて片道1時間程かかるらしく、登ってみたいが時間が無いとか何とかで、あんまり奥社まで登る人が居なく、麓の鳥居付近で帰る人が多いらしい。
 (実際にこの時、奥社まで行って参拝時間も含め、往復2時間ほどかかりました。)
小菅神社 弘法大師 鞍掛松跡

 入口付近に「熊注意」の看板が有り、「最近、奥社付近で熊が出て襲われた」と書いてあります。


 オトロシイでんなぁ・・
 山に上がるのも命がけですなぁ・・
 そりゃあ、皆の衆はビビッて鳥居で帰っちゃいますわなぁ。
 さっそく熊除け鈴を取り付けました。


 ウワサの杉並木は戸隠ほど立派な杉並木ではないが(すんまへん、正直な感想です)、参道は石畳や石階段になっており、戸隠というよりも、むしろ熊野古道ような雰囲気です。


 途中、細い横道に「赤い橋」が架かっており、何かオモロイ言い伝えが有るのかと見に行ったら「弘法大師空海参拝 鞍掛松跡」と書いてあります。


 えっ?・・こんな所で空海さんの御尊名を拝するとは・・
 ホンマに空海さんもここへ来たの?


 空海さんが修行した確かな場所は、四国の太龍山と室戸岬だけなのだが・・と失礼な事を思ったが、側に立ってる説明看板には来た事になっております。


 そいで「赤い橋」は、近くの「北竜湖」へ行く道らしい。


 ちなみに「阿弥陀堂だより」の映画に、この付近の石畳を夫婦二人が仲良く散歩しているシーンがありましたね。
観音堂跡

 σ(*_*)達は仲良しでないから、越後屋はσ(*_*)を置いてトットと一人で先を行きましたが・・


 すぐに「旧観音堂跡」の標識杭と休息所が有り、麓の入口からそんなに離れていなく、疲れてもいなかったのですが、なんせ、たぶんもう二度と来る場所でなく、また「観音堂跡」という標識に釣られて休息所へ行きました。


 休息所のベンチ付近に、古い立て看板が3つ束になって置いてあり、「旧観音堂跡」「御座石」「隠石」と書いた説明看板でした。
小菅神社 鐙石

 ここが「旧観音堂跡」なのだから、「御座石」も「隠石」もその付近に転がってる石のどれかだと、すっかり思い込んじゃいました。


 どうせならば看板をまとめて置かずに、石の付近に立てれば良いのにと思いながら、それらしい石を探すと・・


 付近に有る石は、「それだ・・」と言われれば「そおだ」と思われるような苔生した石がゴロゴロしており、いかにも云われがありそうな石を選んでデジカメで写真を撮りました。
小菅神社 隠石

 後になって、そこで撮った写真は、全然関係の無いタダの石コロだとわかったが・・・


 トッツアン・・まぎらわしい事しないでよおぉ〜・・
 看板を撤去するならば、しちまえば良かったのにぃ。
 オイチャンは、すっかりダマサレちゃったでぇ・・(^O^)アハハハハ・・・。


 それはそれとして、昔はここに観音堂が有ったらしい敷地で、石垣の形跡も残っておりました。
加耶吉利堂跡

 麓の観音堂も良かったが、やはりこの位置に観音堂が在った方が雰囲気的には良いような気がする。


 「観音堂跡」を出ると、すぐ近くに「鐙石(あぶみいし)」の標識杭が有り、みれば普通の岩なのだが、「神馬のあぶみ跡が残る」と書いてあります。


 神馬が何で、ここに現れて足跡残したのか、その云われも、ぜひ書いておいて欲しく、それと・・すまん、「あぶみ」の跡が、どこに有るのかわからんかった。

小菅神社参道 御座石
 先程探し回った「隠石」があり、「謙信」が追っ手を避けて隠れたそうだが、それほど大きい岩ではありません。


 これ位の石ならば、ジャリ共が「隠れんぼ」しても、すぐにバレちゃうでぇ・・と、現実的な事をマジメに考えたらアカンのです。


 これは、ウソでも良いから、そお言うモンだと思い込まなくっちゃあぁ。


 参道をだいぶ上がってくると、石を積むのもキツクなって来たのか、手抜きしてサボッタのか、石畳が乱れ始めてきました。


 その頃に、平べったい「御座石」が有り、ここで弘法大師様が休んだらしく、参道の石を積んだ人達も、この石に座ってモクでも吹かしたりゴロンと横になって休んだ事でしょう。


 やがて「奥社マデ六百米 30分」とカタカナ混じりの標識杭が有り、その付近から石畳は無くなり草むらが出現。


 越後屋が
「あらあぁ〜道が無くなった。」とウロたえ始めます。

小菅神社 船石
 
「ええいぃぃっ・・落ち着け、悟りは常に却下に有る。
 その方の足下付近を見よ。」

と言ってその先の草むらを指し示しました。


 草むらに隠れるように石は置いてありますが、道幅は急に狭くなり、草が茂る山道になります。


 少し行くと道端に細長い石が有り「船石」と書いた標識杭が有ります。


 まぁ・・無理に「船」だと思いこめば、船と見れない事もないが・・。


 歩いてると道端にある岩に、石が積んで有るなぁ・・と思ったら「賽の河原」の標識杭。


 わたしゃ、ここで山崩れが有って、道を通るのにジャマな石コロをどかして積んだのかと思ったが、そおではなかったらしい。
小菅神社参道 賽の河原

 こおやって上がって行くと、いろいろと云われのある石等が多いので飽きが来ない。


 パンフレットで紹介されているよりも多いよおで、なかなか面白い場所だと思う。


 こおいうのを、もっと宣伝すれば良いのにぃ。








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           H23.10.27  亭主 拝 m(_ _)m ハハアァァァ〜・・・