H22.11.11 巡礼
H23.9.24 UP
信濃三十三観音霊場 全地図
諏訪・安曇−03 地図

    HOME > 「信濃三十三観音霊場」目次 > 16 満願寺

尺八を携え巡った信濃33観音霊場記


アルプス連邦
 アルプス連邦を眺めながら、雪がかかっている山頂は穂高の頂でしょうか?
 学が無いモンなので、穂高の名前しか知らなく・・。


 秋の安曇野を調子良く、ママチャリを漕ぎます。
アルプス連邦

 次の満願寺へ行くには2つの川を渡るので、2つ目の川を目印にして、そこで改めて地図を確認しようと思ってました。


 ルンルン気分でママチャリを漕いでたのですが、1本目の川は大きいのでわかりましたが、どうも2本目の川が見当たらないのですねぇ。
道祖神

 こんなに遠かったかなぁ・・と思い「小岩瀬」の神社を見た時、あっ、これは来すぎちまったと思い地図を確認すると、3Kmほど通り過ぎていました。


 越後屋から「ブツクサ」とモンクを言われながら引き返し、穏やかな坂道をママチャリを押してると「アルプス農場」があり、そこでソフトクリーム300円を食べて一休み。


 牛さんがいるかなぁ・・と思ったが、居なくてサミシイ思い。

アルプス農場
 売店のオバハンに、満願寺へ行く道を尋ねました。
 
「ここから行くと二階建ての家が有り、その横の道を行けば良い」


 
「満願寺への看板が有りますか?」
 
「有ったと思う」


 行ってみると、確かに二階建ての家が有り、柳が生えてる木の付近にチッコイ看板が有りました。


 この場所は、来るときに反対車線側に石碑が有ったので、道祖神かなぁ・・と思って石碑に注意が向いていたので、看板が有るのをしっかり見落としていたのですねぇ。


 石碑で無く、道祖神だったら写真を撮るために近寄っていたのにぃ。


 この地点から満願寺までの坂道2.3kmは、ママチャリ押して行くのがキツイかった。
 それプラス、行きすぎて戻って来たショックも付け加えると・・・・


 いかにもノドカナ、それらしい道が続きます。
 キツカッタが・・・
道祖神満願寺へ

 山の麓へ来ると道がY字に分かれており、先を行ってる越後屋が右の急坂を上って行きました。

満願寺 微妙橋
 うむぅ・・看板には確かに「満願寺 駐車場」と書いてあるが、それは本堂近くの駐車場へ行く道であり、本来の入口は左側の道を行くのではないかなぁ・・


と思ったが、なんせ満願寺へ入る道を見落としちまった負い目が有るもんだから、ここで何か言うと「ギャア・ギャア・・」とモンク言われる恐れが有り逆らいませんでした。


 少し行くと越後屋が
「下の方に屋根が見えるんだけれど・・」と言って立ち止まっており、σ(*_*)の推理を言いました。


 戻ってカーブを曲がると、すぐに古風な太鼓橋が有ります。


 この橋は「微妙橋」と言い、「日本三霊橋」として「高野山・無妙橋(御廟橋)」「立山の無明橋」と並ぶ、チョ〜有名な橋らしい。


 高野山の橋は確か「奥の院」へ入る時の橋で、橋を渡った先は霊域なので写真撮影禁止、弘法大師さまが寝てるので音が出る尺八なんか吹こうもんなら、「安眠の妨げじゃ」とドヤシつけられる箇所だったと思う。


 もっともその頃は「日本三霊橋」なんてのは知らなく、単なる橋と思いわざわざ写真を撮らなかったし、今回も来て初めてわかった。


 橋を渡ってからは、ケッコウな石階段を上がりましてなぁ・・・

聖天堂
 尺八を忘れて来たので、後でもう一度車で来て、尺八を吹きに来ようかと思ってましたが、コンジョナシだから階段を上がってると、もう一度この階段を上がろう・・という気力は徐々に消え去った。


 寺は石垣もあり、「由良の興国寺」と似ており古風な感じがします。

聖天堂
 境内に「聖天堂」というのがあり、説明看板によると「大聖観喜自在天」なる仏が安置されてるそうな。


 「和合の神」と書いてあったもんだから、そりゃあぁ〜もう、何が何でもぜひ拝見したかったが、残念ながら扉のスキマからも見る事は出来なかった。


 しかしこの堂の彫刻は素晴らしく、ふと天井を見ると少し消えかかっているが龍が描いてあります。
聖天堂 天井絵 龍

 説明看板に作者は「藤森桂谷」と書いてあり、どんな人かとネットで調べると、かなりの人物らしく「従来の絵の道は、日本の真の景色、真景をもとにして描かれていない、これでは絵に力がないはずだ」ということで写生修行をしたらしい


 うむうぅ・・そお言われて見ると、消えかかった龍の残った部分からでも「力強さ」が感じられるような気がする。

満願寺 本堂・観音堂
 尺八を忘れてきたので、本堂の賽銭箱前で般若心経を代わりに唱えました。


 堂内の戸が開いてたので入ってみると、ここにも襖4枚に見事な龍の墨絵が描いてあります。


 この寺は、よっぽど龍に惚れ込んでいるのか、それとも縁が有るのでしょうか。
 ネットで調べると「聖天堂」の作者とは違ってるよおでしたが、この絵も大したモンだと思う。


 これだけ古く良い物が有る落ち着いた寺なのだが、ただ一つ違和感が有る物がありました。
満願寺 龍の襖絵

 それは境内に大きく白くそびえる、真新しい観音立像です。


 せっかく古い情緒がある建築物に囲まれて、落ち着いた雰囲気が有る境内の風情なのに、何故に真新しい白い観音像が必要なのか?


 信仰心を増やすためと言われればそれまでだが、何でもかんでもそのタグイの物を建立すれば信仰心が出て来るのじゃろおか?。


 四国遍路で出会った老遍路より

 「仏像にも魂が入ってる物と、入ってない物がある。

満願寺 境内
 必ずしも名の通ってる仏像に魂が入ってるとは限らなく、
 路端に有る無名の石仏に魂が入ってる事もある。


 その見分けは、あぁ〜たの心眼で探せ。」
と教わった事があります。


 この観音さんは、それなりのエラ〜イ坊さん達が派手に開眼供養をしたものと思うが、この観音さんに魂が入っているのか、否か・・・。


 観音さんを建立するお金が有ったら、参拝者への「休み処」を作ってくれた方が・・と思う、すんまへん。








注意
 
このホームページは、サーバーを変更したので以後更新を行いません。
 無料サーバーを使用しているため、更新が行われないと、数ヶ月後に削除されるらしいです。
 お手数ですが「第一部」と称していた「遍照の響き」に移動して頂き、以後はそちらの該当ページを参照してくださるよう、お願い致します。
           H23.10.27  亭主 拝 m(_ _)m ハハアァァァ〜・・・