H22.11.10 巡礼
H23.9.21 UP




「牛伏寺」より「村井駅」まで、ほぼ真っ直ぐにママチャリのブレーキをかけて「キーコラキーコラ」言わせながら下ります。

自転車はええですなぁ、狭い道でも通り抜けられて・・・
途中「寿」地区を通った時に看板が有ったので、何か?と思ってブレーキかけて止まって読んでみました。
「山の神 石仏群」と書いて鳥居と石碑だけであり、特に面白くて変わった物が有るという事でもなかったが、一応写真撮影。
村井駅へ行き、昼食時だったので駅前に有る「立ち食いそば屋」に入りました。

何かキャンペーンをやってるらしく券をくれ、付近の駅に有る「立ち食いそば屋」で3枚集めると卵一個もらえるらしい。
しかし旅している途中なので、たぶん券は集まらないと思ったので「行きづりで来たため、だれかに券をあげてください。」と言って券を渡すと、店のオバチャンが「他の人が「いらない」と言って残した券があるから、それと合わせて1個あげる」と言って卵を1個くれました。
えらい物わかり良く、融通の利くオバチャンだなぁ。
世の中、全てこのような感じだったら、物事は笑顔でスムーズに動くのにぃ。

25番「盛泉寺」へ行く途中、「神林」集落にある「福應寺」へ寄りました。
「福應寺」と言っても信濃三十三観音霊場には全く関係無く、それほど有名な寺では無いので、知らない人は全然知らないと思います。
実際σ(*_*)も、ネットで下調べした時に偶然見つけた寺です。

で、その偶然見つけた寺の、何が良くてわざわざ寄ってみる気になったのか。
実はこの福應寺は、尺八やってる人、特に虚無僧関係の人ならば必ずと言って良いほど聞いた事が有る「由良 興国寺」の開祖「法燈国師」の生誕地なんですがなぁ。
どや・・トッツアン、驚いたか? (^O^)ワッハッハッハッ・・・
えっ?・・尺八やってねぇから、そんなの知らねぇし関係ねぇってか・・・すんまへん・・・・
まさか「法燈国師」が信州・松本市付近で生まれていたとは知らなかったので、地図で調べてみると、ちょうど道筋でした。

「神戸」集落付近より所々の道筋に「福應寺」への看板が立っており、また田舎の一本道なので迷わずに行けました。
看板が立ってるほどだから、それなりに大きい寺かと思ったが、言っちゃあぁ失礼だけど、それほど大きい寺ではなく、どちらかと言うと村のお寺・・という感じです。
そいで「法燈国師」が開いた由良・興国寺は禅宗なのに、なんで福應寺は真言宗なのかと思ったが・・・まぁ、いいか・・。

山門?の近くに石碑が建っており、「法燈国師」の云われが書いてあります。
本堂の扉は開かなかったので、扉前で一曲尺八を吹いて参拝
境内には新しい石像が有り、ホントの事を白状すると、どうせ賽銭を集めるために新しい石像を作ったんじゃろおと、不謹慎な事を思ってました・・すんまへん。

最初は無視してましたが、境内がそんなに広くなく、見る物も無いので石像に近寄ると側に「恥かき地蔵の由来」の看板があります。
ん?・・地蔵さんではなくて、どう見ても坊さんのように見えるが・・・
それはそれとして、看板の文面が良かった。
「中国の言葉に「功の成るは 成るの日に 成るに非ず」があります。
功績は事が成就される時にのみあるのではなく、
それまでの積み重ねが必要だという意味です。
恥をかくことは愚かな事ではなく 成功への大切な道のりです。
山主 」

「地蔵」と名称しているので、これが単なるどこにでも有る地蔵さんのタグイの石仏だったら、そんなに感銘しなくて、やっぱり失礼ながら単なる賽銭集めの道具と思っただろう。
しかし、あえて僧職のカッコウをさせて、恥をかいて困ったなぁ・・という表情しているのが「上から目線」では無く、もんのすごくエライ。
寺でこのような石像を設置する事は、メンツがジャマして、なかなか出来る事では無いと思う。

福應寺を出てママチャリを漕いでると、越後屋が後ろの方で止まり、金網越しに何かを撮してます。
何か面白い物でも有ったのかな?と思い戻ってみると、広く金網で囲まれた中にウサギが数匹居て、それを撮してたのです。
最初は警戒して近寄らなかったのですが、一匹が金網に寄って来ると、数匹が次々と寄ってくるんですねぇ。
「下竹田」集落を通り抜ける時に家を見ると、昔ながらの「雀おどり」を付けた大きい屋敷が目立ちます。







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H23.10.27 亭主 拝 m(_ _)m ハハアァァァ〜・・・