「越後33観音霊場 徒歩用地図」
   北五泉駅〜30普談寺〜31正円寺〜井栗観音〜32宝塔院〜33最明寺
H22.7.22 巡礼
H23.5.14 UP

     HOME > 越後三十三観音霊場「目次」 > 145 轍 跡

尺八を携え歩いた越後霊場記



 「北山崎」集落の入口付近でゴミを捨てに来たオババが居たので、これから行く道を指し「この道は「朝日」へ通じていますか?」と聞くと、無愛想に「そうだ」と答えてくれます。
「北山崎」集落

 なんせ名も無いような峠道であり、ネットでこの峠道を通った記録を探したが見つかりまへんでした。


 そんなもんだから、心配で、しんぱいで・・不安で、どうしょうもないから地元の人に確認しとかないとね。


 集落内は舗装道路でしたが、集落最後の家付近から砂利道になっており、おまけにその最後の家で飼ってる犬がヤカマシク吠えます。


 しかし心を落ち着かせて、犬を勝手に吠えさせながらデジカメで写真を撮りました。


 ううむうぅ・・全部舗装道路かと思っていたが、これ位の草の生え具合だったら、この先も何とか行けそうだなと判断しました。


 一応、山道は普請整備がしてあるらしく、道路の草丈は短かった。


 九十九折りの道を上がっていると、先程の家からまだ犬の吠えるのが聞こえ、他によっぽどする事が無い犬なんだろなぁ。


 ところが・・・峠の頂上付近に来た時・・・
 キヤアアァァァァ〜・・・!!


 今までと違って草が生い茂っており、ここ最近は車どころか人さえも通ったような跡が有りまへん。


 だいたい峠付近が村の境界になっているようで、そこから先の担当集落では、どうせ通る人も居ないだろおと思ってなのか道普請をやらなかったようです。


 そのため草が刈ってなく、ごってり膝の高さまで草が生えています。


 まぁ・・そうだわなぁ・・もう車社会になって、他に良い道が有るのに、わざわざ狭い山道を歩いて通る事なんて、あんまり無い・・と言うか通る人なんて、今時全く居ないじゃろなぁ。


 この先も草が茂っている事が予想されたので、一瞬戻ろうか・・と思いました。


 しかしぃ・・遠回りになるし、この程度の草丈だったら、まだ何とか通れると思い歩き進みました。


 これが、先程のオババに確認せず、地図を頼りに予想で歩いてここまで来ていたり、草の高さが胸付近まで生えていたら、泣きながら断念していたと思う。


 ゆるやかな下り坂になっており、ズボンの膝付近から靴下まで露に濡れて、グショり・・・


 静まりかえった山道を、只一人き歩くのは心細いものです。
 昔の旅人も、こんな思いをして旅をしたのかもしれない。


 草を掻き分けながら、ヘビを踏んづけたら、イヤヤなぁ。


 ところで、この道をだれも通ってないと思ってましたが、先程から草を踏みつけてバイクが通ったらしい轍跡が一直線に伸びており、それほど古い跡ではありません。


 どちら側から来たのかわからんが、よぉこの山道を通る気になったなぁ。
 σ(*_*)ならオトロシイから止めるでぇ。


 ちなみに後ほど「石油の世界館」で明治時代の古い地図を見ると、この山道が記載されておりました。


 地理的状況をからも、昔からこの道は五泉と新津市「朝日」集落を結ぶ、最短距離の道だったと思う。


 でも、現在はこんな状況ならば、いずれ廃道になっちまうだろなぁ。


 やっと草が生えてない、普通の砂利道に出ると、すぐにT字路になります。


 ここで当初は右へ行き、途中より山越えをして30番「普談寺」へ行く予定にしてました。


 しかし、なんせ今通った山道の草の状況を思うと、コンジョ無しなもんだから不安感が先立ち、地図をニラミながら考え、安全策を取って左道へ進んで山越えをしない事にしました。


 歩いてると、やがて遊歩道の標識とトイレが有り、遊歩道は「木もれ陽の遊歩道」と言うらしい。


 この付近から、ポツポツと人家が有ります。


「木もれ陽の遊歩道」標識「新津 石油の里」マンホール








注意
 
このホームページは、サーバーを変更したので以後更新を行いません。
 無料サーバーを使用しているため、更新が行われないと、数ヶ月後に削除されるらしいです。
 お手数ですが「第一部」と称していた「遍照の響き」に移動して頂き、以後はそちらの該当ページを参照してくださるよう、お願い致します。
           H23.10.27  亭主 拝 m(_ _)m ハハアァァァ〜・・・