H21.5.16 巡礼
H22.6.23 UP




「大崎」集落の越後三十三観音、番外寺「竜谷寺」へ向かってテクテク・・・

午後になると、いい加減に疲れて来ますねぇ。
あんまりにも疲れて早く寺に着きたいもんだから、予定ではバイパス道路?をそのまま行って横道へ入るつもりだったのが、一本手前の横道へ入っちまった。
疲れて来ると、地図を何回も確認し、後何km・・・と5分程おきに見ますが、注意力が散漫になってきます。
道沿いに学校が有り、グランド脇を通る頃に地図を見直して間違いに気付きましたが、そんなに遠回りになるわけでもないので、そのまま旧道を歩きました。
しかし、この2万5千分の一地図には「竜谷寺」の卍印が記載してないんですねぇ、寺名は書いて有るが。

この「竜谷寺」は、インドダプタ王朝風様式だとかの変わった形の寺だとネットやパンフレットで見ていたので、それらしい変わった建物を探しながら歩いたのですが、旧道を歩いたためか、そのような変わった建物は見えません。
バイパス道路を通っていたら、見えたかもしれまへん。
旧道を歩いてる時に「竜谷寺」への道を2回オバハンに尋ねると、親切に教えてくれ、2回とも「ご苦労様です」と言われた。
よっぽど作務衣と杖・笠の姿が、仏教スジの人だと勘違いされたんでしょうなぁ、単にホッツキ歩いてるだけなんだけど・・。

教えられた横道を行くと、何の変哲も無い普通の寺の山門が有り・・あれ?・・パンフレットで見た変わったインド何とか様式の建物じゃないでぇ?。
他の寺と間違えたかなぁ・・と不安になりながら山門に近づくと、山門前に変わった石像が二体置いてあります。
その時はわからなかったのですが、後で写真を、よぉ〜見ると、どうやら地獄に居る閻魔さんと着物を剥ぎ取るオババのような気がします。

しかし、どちらも、あんまりオトロシイ表情じゃありまへん。
あえて言うならば、閻魔さんは「遠い所をよぉ〜来たなぁ。まぁ茶でも一杯飲んでから、ゆっくりお前の罪状を聞こうじゃないか。」という風に感じられ、着物剥ぎ取るバアサンなんか、にこやかに笑って今にも茶菓子を持って来るため「どっこらしょ」と立ち上がるようにも見えます。

山門を入ると正面に普通の本堂が有り、欄間は鯉が泳いでる図柄で、たいていの寺は龍の図柄なのだけれど・・。
鯉が急流の滝を昇ると龍になるという云われからかな?
本堂の右手遠くに、問題の変わったインド何たら風建物が見え、寺を間違えてないようで良かったなぁ。

本堂の階段に座って休んでいると、草取りしながらジサマが来たので、住職かと思い「本堂は開かないのですか?」と聞くと「開かない。明日が祭りで、その時は開いて、どうのこうの・・」
ジサマとの話しは、何を言ってるのか、あんまりよぉ〜わかりまへん。
そおいうわからん面倒な事は越後屋に相手させて、サッサッと本堂扉前で参拝し、今日はこれが最後なので二曲吹きました。
ジサマは一人でブツブツ言いながら、そこら付近の草取りをしており、参拝後に越後屋へ「何て言ってたの?」と聞いたら、越後屋も、話しがよぉ〜わからんかったらしい。

参拝している間に、問題の変わった建物を見てきた越後屋が「あれが観音堂だよ」と教えてくれました。
その時に初めて、そおいえば観音巡りをしているんだから観音堂が有るのが当たり前で、うっかり山門に書いてあった「曹洞宗」に気を奪われて禅寺だという意識しか無かったのに気付いた。
そいでもって、あの変わった建物は、なんせ見た目がアレなもんで、得体のわからん美術品のようなタグイの物が納めてあり、中に入るのに拝観料でも取るのかと思っとりました。すんまへん。

袋に締まった尺八を再び取り出し、観音堂へ行くと扉が開いており、中は広い絨毯敷きで正面に仏さんが置いてあります。
あっ、拝観料は必要ないようで、勝手に黙って入りました。
二曲吹き、堂内は構造的にも響きが良く、外で待っていた越後屋が「まぁまぁの出来だったね」と言ってくれました。

尺八に関しては滅多に誉める事がなく、いつもケチだけは精一杯つける、あの越後屋が珍しい事に・・。
あんまり珍しい事を言うもんだから、ポツ・・ポツ・と雨まで降ってきちまった。

注意
このホームページは、サーバーを変更したので以後更新を行いません。
無料サーバーを使用しているため、更新が行われないと、数ヶ月後に削除されるらしいです。
お手数ですが「第一部」と称していた「遍照の響き」に移動して頂き、以後はそちらの該当ページを参照してくださるよう、お願い致します。
H23.10.27 亭主 拝 m(_ _)m ハハアァァァ〜・・・