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尺八を携え歩いた越後三十三観音霊場巡礼記



 「浦佐」に向かってテクテク・・


 「柳古新田」を過ぎた道端の墓場で、ふと墓が立ち並んでる所でポツンと立ってる地蔵さんが目につき、その横に道標らしき物が見えたので、わざわざ近寄ってみました。


 物好きですねぇ、疲れてるのに確かめに行くなんて・・
 こお言うのを野次馬コンジョと言うんだろなぁ。


 そしたら、やっぱり道標で「右・・方面 左・・方面(・・は読めない)」と彫ってありました。


 へえぇぇ・・この墓付近が、昔はどこかへの別れ道だったのかぁ。

 
 「竜谷寺」から2kmほどしか歩いてないのだけれど、疲れたので、ついでにそこらの石垣に腰を下ろして一休み。


 大きい木があり、石碑も並んでいるので、昔はここらでσ(*_*)みたいに一休みした人も居た事でしょう。


 近くの道端に看板が立っております。


 どうせ「墓をキレイにしましょう」か「ゴミは持ち帰りましょう」の看板かと思ったのです。


 しかし、ここでも野次馬コンジョが優先し、せっかく腰掛けたのに、わざわざ見に行くと「八色原の道しるべ」と書いた説明書きがあり、その看板の後ろに道標が有りました。


 ちなみに「八色原」は「やいろはら」と読むらしく、昔はここら辺一面は原野だったそうな。


 扁平石に大きく握りしめた手で、人差し指を「うらさへ」と刻んだ珍しい道標だと書いてあり、建立者は幕末・明治に庄屋を勤めた人らしい。


 四国の道標も、掌とか人差し指で行き先を示してましたが、そお言えば四国以外では、このように手で指し示す道標は、あんまり見た事がありまへんなぁ。


 たいていは「右こっちへ 左あっちへ」のように、字だけでした。


 浦佐駅前に着くと、昔この県から出た元首相の銅像が「よっしゃ、よっしゃ・・」と手を上げて迎えてくれます。


 この銅像については、涙無くして語れない、心温まるカワイソーなお話がありましてなぁ。


 冬の季節には、この付近は豪雪地帯となり、、雪がシンシン・・と降り続くと、この像にも雪が積もります。
魚野川

 それを見た元首相の娘は、この銅像がカワイソーでなりません。


 さっそく、支持者の集会に乗り込んで
 「父の銅像に雪が積もっており、寒そうでカワイソーだ。
 カゼひいて熱が出たら、どうするんじゃ。何とかせい。」
とゴネました。


 しかし、まともな考えを持つ多くの人達は
 「あぁたぁ・・何言ってまんがなぁ。
 たかが銅像に雪が積もっても、どおって事が無いでしょうが・・・何をくだらん事を・・」



 しかし娘は
 「ええいぃぃぃ・・・世話になった恩も忘れて、偉大で親愛なる将軍様の銅像に、雪が積もっていても何とも思わないのか。
 なんたる恩知らずの無礼者!!(と言ったか、どおだか、わからんが)
 ギャアァ・ギャアァ〜・・・キャアコラ・キャアコラ・・」
と騒ぎ立てます。


 まともな考えの人達は、
「かなわんなぁ、あのアホな女め」と思いながらも、娘の更年期障害のヒステリー口上が、あんまりにもウルサイので、しかたなく銅像の後ろから銅像の上にドームが掛かるように雪除けを作ってやりました。


 除幕式に出席した娘は、満足そうにホッとした表情で銅像を眺めたそうな。


 しかし世間では、雪は上からだけでなく横からも吹くので、上だけ覆っても、やっぱり像に雪が積もるんでねぇかと思いましたが、言ってもわからんアホに話すと、また話しがややこしくなるので、それを進言する人はだれも居ません。


 以上、σ(*_*)が勝手に想像した、心の底から温まる「哀雪、銅像の父を持つ娘、純愛物語」でした。


 今も浦佐駅前には、ドームを背にして手を上げてるオッサンの銅像が立っており、ヒマな人は、ぜひ一度浦佐駅で降りて、この銅像を見て笑ってやってください。


 それほど銅像に雪が積もる事が心配ならば、夜になったら寝冷えしないようにフトンでもかぶせてやった方が、よっぽど親孝行の娘だと世間の話題にもなったろうに。


 そお言えば娘が外務大臣をやってた時に、北朝鮮の首領様のドラ息子が日本に不法入国しました。


 そしたら、あぁたぁ・・何を血迷ったか、ろくに取り調べもさせずに
「早く帰してあげなさい」と、その権限で帰国させちまったのです。
 何を考えとるんじゃろ、この娘は・・・
浦佐駅

 このように北朝鮮に対しては思いやりのある人ですから、北の将軍様のマネをして銅像を神聖化させたくてしかたがなく、雪が積もるのは耐え難かったんでしょうねぇ。


 あの時、ドラ息子を取っ捕まえて、冷たい石の牢屋にブチ込み、拉致被害者の即時返還を求めてれば、また違った展開が有ったろうに・・


 そおいえば付近に「銅像に石を投げないでください」と書いてあったような気が・・・








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           H23.10.27  亭主 拝 m(_ _)m ハハアァァァ〜・・・