H20.7.2 巡礼
H22.3.17 UP





「女谷」に旧鵜川小学校の校舎が残っており、キャンプ炊事施設もあるので、そこを野宿予定地にしてました。
この小学校跡地には「綾子舞会館」ちゅうのが有り、毎年9月の秋に「綾子舞」という踊りをここで披露されブログにも書いた事があります。

この「綾子舞」には、カワイソーな伝説が有るらしいです。
野宿予定候補地に着き、草地のベンチに荷物を置いて、やれやれのタバコを一服し始めると、早々に蚊の第一次空襲開始・・
とりあえず荷物をそこへ置いて、モクをふかしながら蚊が来ないように歩き野宿適地を探しました。
しかれども蚊の追撃は執拗で、その攻撃の手を緩める事なく連続的に波状空襲を受ける。

戦艦「大和」が最期を迎えた空襲も、このような物であったかと、しばし当時の苦労を偲びつつ・・モクの煙で攻撃を交わすも、蚊の集団は「そんなモン効かねえよ」とセセラ笑いを浮かべながら、汗に吸い寄せられるが如く飛来す。
1本目が切れて、すかさず2本目のモクに点火・白煙を吐き散らし、「之の字運動」をしながら蚊の攻撃をかわし、移動の効果も有ったのか、グラウンド端にある「静雅園」付近まで逃げ延びると蚊の攻撃も下火になった。
この「静雅園」ちゅうのは、以前この付近に住んでいた医者の庭園だったらしく、池・岩が配置された、なかなか見応えのある日本庭園です。
その付近を偵察散策すると、公民館のような施設の玄関階段脇が良さそうだ。

ひとまずそこへ移動しようと荷物取りに戻りった時にフト見ると、ベンチ付近の草地に蚊取り線香が割り箸に刺さってダラ〜ンとだらしなく伸びています。
きっと何日か前に、だれかが蚊取り線香を炊いて、そのまま野晒しになっていた物でしょう。
よっしゃあぁ・・・ここらには店も無いので、この蚊取り線香の残りカスで急場をしのごうと、数本拾ってきました。
階段に座って蚊取り線香に火をつけてみると一応煙は出るが、その効果成分は雨に流れたのか、あんまり無いようであるが、タバコの煙よりも良いだろおし、気休めになるので点けておいた。
特にする事も無いので、この先何が有るかわからんので、夕日が沈む前にサッサッと夕食を終え、階段に座りボオッ〜と時が過ぎるのを待っていました。
やがて施設の管理人らしいのが出入りしたので、「旅をしている者ですが・・」と前置きして、ここでの野宿許可をお願いした。

「はあぁ・・ここですか・・あそこのベンチなら良いのですが。
(と言って、荷物を最初に置いたベンチを指さす)
あぁ・・そおでしたかぁ・・あそこは蚊がすごく多い所ですからねぇ。
(なんじゃぁ・・よぉ〜知ってるでねぇか)
実はこの施設で、これから会合が有るんです。
その時に、ここで野宿している人がいると、来た人がどう思うかと・・ねぇ。
えっ・・はい9時までの会合です。
(そおですわなぁ、会合に来た人が玄関先で寝転がってる小汚いジジイを見たら大騒ぎになるかもしれまへんわなぁ)
先程、あなたが峠を歩いてるのを車の中から見たんですよ。
(うん・・目立つカッコウしとるからなぁ)
はぁ・・巡礼ですか?・・・これからどちらの方へ?
へえぇ〜・・黒姫山へ上って・・・ほほおぉぉ・・
うむうぅ・・あそこの炊事場なら良いんですけれどねぇ。」
教えられた炊事場は先程のベンチ近くで、蚊の攻撃が予想される所ですが、この人はσ(*_*)のために、精一杯何とかしてくれようとしているのが、よぉ〜くわかります。
「それでは炊事場の方で野宿させてもらいます。
ただ、蚊がすごかった場合は、会合が終わり、だれも居なくなってから、こちらの玄関で野宿させて貰たく・・というか、役目がら「良い」とは言えないと思いますので黙認してください。
明日、朝7時までに出発し、野宿した跡は決して残しません。」
と言うことで了解を貰い、再び重いリュックを担いで、蚊が待ち受ける草地を強行突破して炊事場へ走りました。
炊事場の床面に荷物を置くと、やっぱり蚊の攻撃・・・
少しでも高い所にいれば、蚊も飛ぶのに疲れるだろなぁ・・と思い、蛇口が並んでいる洗い場に座って蚊取り線香を前後二本を炊いたら、コンジョ有るヤツも居たが、あんまり来なくなった。

この時期、8時頃まで明るいですなぁ。
公民館に人が集まって来て、ついでに会合に来た人が連れてきたジャリタレが3人、グランドで遊び始めました。
おいおい、蚊に喰われるでぇ。
炊事場の方へ来なけりゃ、ええんだが・・
σ(*_*)を見つけて「怪しい人」「不審者」と騒がれたら弁解するのに困るしぃ面倒だしぃ・・と心配してたが、幸いにも来なかった。
暗くなってもヒマですなぁ・・・
食うモンは食っちまったしぃ・・後は寝るだけなんだけれど・・
会合をやってる施設の窓灯りを、ボオッ〜と炊事場から眺めてました。
人間、不思議なもんで、どおしても灯りのある方を向きますなぁ、虫と同じですなぁ。
まぁ・・暗い所を見ても、何も見えんからなぁ。
昔の旅人が野宿した時は、どおしたのかなぁ。
やっぱり、する事も無いので、トットと寝たのかなぁ。
周りが全く無人の場所だったら、尺八吹いてヒマつぶしにするのですが、ジャリタレも居るし、村の人にも聞こえるかもしれんので吹かなかった。
そおしてボオッ〜としてると、タンボを隔てた遠くの道路側で「すごい、すごい・・」という声が聞こえました。
何がスゴイんか?と思ったが、どうやら蛍が群舞しとるのがスゴイよおなので、ヒマだからσ(*_*)も見に行きました。
道路まで行く途中に、一匹のホタルが、スイッ〜・・スイッ〜〜・・と飛んで行きます。
おおぉぉ・・そおいえば、蛍の飛び方は、こんな風な飛び方だったなぁ、思い出したでぇ。
子供の頃、友達とホタルを採りに行き、虫籠に一杯採って夜に懐中電灯代わりにそれを持って歩いた事が思い出されます。
蛍も10匹ほど集めればけっこう明るく、「蛍雪の功」の言葉どおり、昔の人は蛍の光で勉強したというのを実感した事があります。

道路まで行ってみると、別に群舞してるわけでなく、2・3匹がたまに飛んでる程度でしたが、久しぶりに見た。
一回りして炊事場に戻り、洗い場の上には蚊が来ない事がわかったので、そこに銀マットを敷いて寝ました。
虚無僧は、ずう〜っと昔、薦(こも)を持って歩いてたので「薦僧」と言われたらしく、それが訛って虚無僧になり、今でこそカッコイイですが、元をただせば鎌倉時代以降に続く由緒正しい物乞いです。(^O^)
薦僧もどこかの軒下とか橋の下で薦を敷いて野宿し、眠れぬ時はヒマだから一人でボンヤリと村の家々の灯りを眺めていたかもしれまへんねぇ。
現在ならば、銀マットを持って歩いてるので「銀マット僧」となるんかな?
野宿する時の寝心地は、銀マットの有無がかなり影響するので、昔は旅をする時は薦が必需品だったと思う。
ちなみに銀マットは、買ったままの大きさでは持ち運びに広過ぎるので、肩幅程度の大きさに切ってあります。
洗い場の幅が、ちと肩幅よりも狭かったが、転げ落ちるよりは良いじゃろ・・と・・
しかし、どうにも体が汗でニトニトするので寝付きが悪く、起きて真っ暗の中を素っ裸になり、タオルに水を含ませて体を拭いたらサッパリした。
夏場は体を水拭きするのと、しないとではだいぶ違いますねぇ。

注意
このホームページは、サーバーを変更したので以後更新を行いません。
無料サーバーを使用しているため、更新が行われないと、数ヶ月後に削除されるらしいです。
お手数ですが「第一部」と称していた「遍照の響き」に移動して頂き、以後はそちらの該当ページを参照してくださるよう、お願い致します。
H23.10.27 亭主 拝 m(_ _)m ハハアァァァ〜・・・