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尺八を携え歩いた越後霊場

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「1番 岩屋堂 〜 乳母ケ嶽神社 〜 直江津・国分寺」区間 地図



 時間があれば居多神社に寄りたかったんだけれど、夕暮れも迫り始めたので、そのまま国分寺へ行きました。
国分寺 入口

 住宅地の四つ角で、どの方向へ行けば良いか迷ったが、そのまま真っ直ぐに進み、この付近では?と思いながら歩いてると、公民館の横から国分寺境内へ入れました。


 境内の石のベンチに荷物を置いて一休みすると、近くでオバチャン同士が話しており、側でチッコイ犬が「キャンコラ・キャンコラ・・」とσ(*_*)に向かって吠えます。


 ゴルアァァ〜・・σ(*_*)がおまえに何を悪い事したというんじゃあぁぁぁぁ。
 蹴っ飛ばしてやりたかったが、飼い主が居たので、カンベンして知らぬ顔してやった。





 飼い主のオバチャンが犬に向かって「あらぁ、何とかチャン(犬の名前)、ダメでしょ。」とか言ってるが、犬の何とかチャンは言うことをきかず、相変わらず「キャンコラ・キャンコラ・・・」


 そんな甘い生やさしい言い方をしてるから、犬が図に乗るんじゃ。


 躾ちゅうもんは、きちんと犬に正座させて、人に対しては、むやみやたらに吠えるんじゃねぇと、もっとビシバシと思いっ切り叱らないとダメじゃねぇか。





 場合によっては犬の頭を2・3発、ぶっ叩いてでも仕込まにゃ、人様に迷惑をかけるぞ。
 σ(*_*)なんか、犬のために数えきれんくらい、イヤな思いをしとる事だから。


国分寺 本堂



 犬の「キャンコラ・・」を聞きながら一休みして、おもむろに境内をグルッと回ってみました。


 本堂の横には「竹之内草庵」「親鸞聖人御配所草庵」と書いた堂があり、堂内の正面にポツンと親鸞さんの木造がサミシそうに飾ってあります。
竹之内草庵

 親鸞さんは流されて、ここでしばらく暮らしていたようで、後でネットで調べたら、この木造は親鸞さん自身が彫ったと伝わってるらしいですなぁ。


 境内には何かにつけて親鸞さんが、どうのこうの・・という石碑なんかが有るしぃ・・


 今まで国分寺はどこの宗派に属するんじゃろ?と思ってましたが、この国分寺はどうも浄土真宗らしいです。


 寺の鐘は、これだけ大きい寺なのに思ったよりも小さい鐘楼でした。


 この国分寺は、ずうっ〜と昔からこの場所に有ったわけでなく、ホントはどこに有ったかわからないそうです。

国分寺 鐘楼
 たぶん居多浜近くに在り、今は海の底という説も有るようですが、上杉謙信が廃寺になっていた寺を「どこだったか、わからんもんは仕方がねえから、ここにしちまおうや」と決めちまったそおです。


 ほれ、泣く子と、何とかには逆らえん・・と言いますからなぁ。


 殿の御意向に逆らっても良いことも無いし、給料が上がるわけでもないし、下手に「殿・・そりゃぁぁ、ちと乱暴ではありまへんか」と意見したら、目を付けられて睨まれるだけ損だから、それ以来、現在の地が国分寺になったらしいです。


 しかし、国分寺の場所がわからないというのも珍しいでんなぁ。


 下調べしてる時に、国分寺の場所が不明・・という事を知った時は、まさかそんなはず無いじゃろ・・と思いました。
鏡池

 境内を一巡りしてから、本堂で二曲吹き、親鸞さんが暮らしていた草庵でも一曲吹きました。


 第一回目の越後霊場巡りは、ここまでの区切りとして3日間の旅を終え、直江津駅より家に帰りました。


 駅へ行く途中「鏡池」というのが有り、ここでも親鸞さんが池に写る自分の姿を見ながら自画像を描いて、だれかにやったらしい。










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           H23.10.27  亭主 拝 m(_ _)m ハハアァァァ〜・・・