H21.9.13 巡礼
H23.9.17 UP

石舟観音からの旧中山道は、もんのすごい急坂で「沢底」の急坂に匹敵します。

途中に「旧中山道の大石」という立杭があり、道端にゴロンと大きい石が置いてある・・というか、落ちているというか・・少なくとも飾ってあるようには見えない。
立杭の横に「昔この大石に盗賊が隠れていて旅人が襲われて殺され、この大石の下に埋められたそうな。
麓からこの大石を見ると雨の降る夜にチラチラと青火が見えたそうな。」
と書いてあり、オトロシイでんなぁ。
ヒーコラ言いながら旧坂を上り、途中で心臓病の越後屋が倒れるのでは・・と心配するフリしながら・・
あっ・・あくまで本心では無く、フリだけね・・・自転車を押し歩きました。

後ろを振り返ると、はるかに諏訪湖が見えます。
きっと旅人も、振り返ったりしながら旅したのでしょう。
もうすぐ塩尻峠の頂上付近だと思う所で、立ち止まって休んでいると、山の斜面からアンチャンが降りて来ました。
スーパーの袋を持っていたので見せてもらうと、アミタケ・イグチ等が10個ほど入っており「自分は、このキノコとクリタケしかわからない」と言います。
うむ・・初心者向きのキノコですなぁ。
キノコ採りは、この毒キノコと見分けがつきやすく沢山採れるこのキノコから始まり、ある程度わかってくると、「ウラベニホテイシメジ」を採るようになる。

「ウラベニホテイシメジ」は毒キノコ「クサウラベニタケ」と姿形が似ており・生え所も同じに生えてる時も有るので、良く間違って食中毒を起こす事があります。
そのせいか「ウラベニホテイシメジ」を好んで採っているキノコ採りの人は余り居ないよおです。
きっと毒キノコと思って、見つけても採らないんじゃろなぁ。
その方が、σ(*_*)が沢山取れて嬉しいが・・・

聞いて見ると、山にロープが張ってある所は立入禁止だと言うので
「別の所から、うっかり知らずに入っちゃった、と言えば良いじゃん」
「見つかったら罰金を取られるので・・」
と、かなり入山に対しては厳しいよおです。
アンチャンと別れ、少し行くと峠の頂上で、公園のようになっています。
「塩領御野立公園」というらしく、明治天皇もここで休んで茶をすすったらしい。
公園は草も取ってあり手入れされてるようで、この奥に何が有るのか?・・と思い、行ってみると展望台がありました。

自転車を押し歩いて来たので、かなり足が疲れていたのですが、話しの種に階段を上ってみました。
展望台へ上がっても成長した樹木しか見えず展望が利かなかったら・・・という不安も有りましたが、その時は展望台に必殺の「正面ケリ」を一発入れたろ・・と思いましてなぁ。
そしたら、あぁたぁ・・・思っていた以上に展望が開けており、諏訪湖全体から遠くに富士山が霞んで見えます。
たいていの展望台は作ったのは良いが、その後の予算がつかないのか樹木が生長するのを忘れられちまったのか、周囲の樹木のため展望が利かない状態になり、ガッカリする所の方が多かったのだけれど、ここはバッチリ展望が利いております。

来て良かったなぁ〜。
もし、旧中山道を通り塩尻峠まで来たら、この展望台に上ってみてください。
樹木が生長しても当分の間は展望できそうで、一見の価値は有ると思い、お勧めします。
自転車を置いた所で休んでいると、ゴミを拾いながら来る同年代のトッツアンが居たので「ごくろうさまです」と声を掛けて少し話しをしました。
トッツアンは、σ(*_*)らの年・カッコウを見て、退職後に仲良く夫婦連れで、ノンビリ中山道を自転車で旅していると思ったのか、悪気も無く「悠々自適ですか・・」と言います。

でも、ホント言うと他人から「悠々自適」していると見られて、羨ましがられるのが一番辛かった。
その頃は越後屋と二人でジサマを自宅介護をしていました。
老人介護つうもんは「目に見えない檻」が有り、「悠々自適」なんてモノはどこを探しても無く「鬱々束縛」で自由なんてどこにも無い。
介護する方もツライが、ボケてなかったら、される方もツライと思う。
自分の子供にだけは、このような思いをさせたくない。
こんな事をわざわざ言わなくても良かったのだが、なぜかどうしても言いたくなり
「いんやあぁ〜・・家でジサマを介護しており、やっとショートステイに入れて3日間の休みを貰って旅しており、今日はこれから「みどり湖」駅まで行って帰らなければならんのです」
と笑いながら言うと、悪かったと思ったのか、親切に塩尻峠の説明をしてくれました。

皇女和宮が江戸へ行く時に、この道を通った時は2万人の行列で、近郊の家からは牛馬で荷物運びの手伝いをやらされて大変だったと教えてくれます。
そお言えば和宮が通ったのは知っていたが、行列の人数までは知らなく、2万人・・という数字にビックリこいた。
塩尻峠からの下りも急坂で、今度は自転車に乗って「キーコラ・・キーコラ・・」とブレーキの音を言わせながら下りました。
少し下りた所に家が有り、近くに明治天皇が茶をすする時に使用したという井戸が有り、何度も茶を飲むのもタイヘンたろなぁ。

さらに下りると、薄暗い草むらに地蔵さんが2体有り、立杭に「夜通道(よとうみち)」と書いてあり、それには、麓の美しい娘が「岡谷」の男と逢い引きするための通った道だと書いてあります。
こんな急坂を、しかも昼なお薄暗い道を夜一人で通るのは、さすが「恋は盲目」と言いますが、よぉ〜やりまんなぁ。
で、その娘がその後どうなったのでしょうか。

ホレたハレたのあげくに三角関係になっちまい、泥沼の中に入り込むような争いになったとは書いてなかった。
少し行くと道端に小山が有り、一里塚では?・・と思ったら、やはりそおで近くに「東山一里塚」の案内板がありました。
途中分かれ道が有り、地図を確認してると「中山道」のちっこい案内板が草むらに埋もれかかりながら有りました。

この「中山道」の立札・・もおチット大きく、分かれ道に一カ所でなく、2カ所設置してくれたら、わかりやすいんだけれどなぁ。
「東山」集落を抜けて国道20号線とぶつかり、地図ではあの付近の旧道らしい分かれ道を行くのだろおなぁ・・と思ってたら正解で、そこにも「中山道」の立て札がありましたが、できれば、やっぱり、もう少し大きい方が・・・。
再び国道にぶつかり、国道を渡って向こう側へ行かにゃアカンのだが、車がバンバン走っていて横切るのは危ないなぁ。

近くに信号機は?・・と、心配したら地下道が有り、上の国道を戦車が走ろおともビクともしないような頑丈な地下道だった。
「柿沢」集落に入ると、今までもたまに見る事が出来た「雀踊り」という屋根飾りの家が有り、たいてい昔ながらの大きい家でした。
今回は「みどり湖駅」の駐車場まで。







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H23.10.27 亭主 拝 m(_ _)m ハハアァァァ〜・・・