H21.9.11 巡礼
H23.9.7 UP



「赤羽」集落に入り県道?を横切って行くと「高遠街道」と書いた看板が立ってます。

おぉぉ・・やっぱし予定の道は、旧道だったのか・・、それにしても「高遠街道」という街道名は知らなかったなぁ。
自転車を押しながら坂道を上ってると住宅街の中に入り、ふとホンマにこのままの道で良いのか不安になりました。
だれかに聞こうと思い、昼休みなのか車の中でケータイしている職人風のアンチャンを見つけ
「おのおぉ・・すんまへん、教えてください。
諏訪へ抜ける道で「沢底」へ行きたいのですが、この道でよろしいのでしょうか?」
「「沢底?」・・ここら付近の者で無いので、よぉ〜わかりませんが、諏訪へ行く道なんか有ったかなぁ・・」
あちゃあぁぁ・・やっぱし、道を間違ったかなぁ・・

「諏訪へ行く峠の途中に有る集落ですが・・」
「峠ならば「有賀峠」というのが有るけれど、だいぶ道から外れてますよ。」
それそれ・・有賀峠へ最終的に出れば、ええんじゃ。

「今来た道を戻って、大きい通りに出たコンビニ付近で聞いてみなさい。
はっ?・・この先の道でっか?。
この先は団地になっていて、わからんようになりますよ。」
礼を言って戻りましたが、途中の三叉路で、どうも狭い道の方へ行けば予定の道に出るような気がする箇所がありました。

来る時にもこの箇所は、ちと迷って地図を確認したかったのだが、越後屋がズンズン先を行ったもんだから、そのまま付いていったんだけれど・・
「教えられた大きい道へ出て、分かり易い道を行った方が良い」と不安がりモンクを垂れる越後屋を叱り飛ばして、行ってみると・・ほれみろ、正解じゃねぇかあぁ〜。
そこには「日本最古の道祖神」と書いた看板が有り、距離まで書いてあった。ヨカッタナァ〜

緩やかな坂道を自転車を押したり乗ったりしながら、ノドカナ田園風景を行くと、「神主谷」という所に道祖神の第何番という立て札があり、側に互いに手を取り合った仲良しの道祖神があります。
σ(*_*)らは、仲良しでないから、手も取り合わず、お互いにソッポ向いてるけど・・・。
この先々の道祖神が在る所には「第何番」と地名を書いた立て札が一緒に立っており、初めて来る人にとっては分かり易くて良いと思う。

「入村」集落に入ると「日本最古の道祖神」の案内看板が再びあります。
それに従って行くと村外れの山麓に、看板(一番上の写真)が有り山肌に沿って10個くらいの石が並んで立ってます。
看板が立っている側には農道のような道が有り、地図で確認すると山越えして諏訪へ行けるようなので、たぶん諏訪へ抜ける旧道だったのでしょう。
そもそも庚申塔とか道祖神・石仏つうもんは、旧道に沿って村の入口に立ってる事が多いですからねぇ。
どれが「日本最古の道祖神」かなぁ・・と思って探すと、「これだ」という看板は無いが、どおやら中央に階段がある所の道祖神がそれらしい。

「日本最古」というから、永年の風雨にさらされて道祖神のジジババの姿は、崩れて不鮮明になっているかと思ったが、予想に反して鮮明な形で残っており、仲良く手を握ってます。
ワッハハハッ・・いいトシしながら見せつけまんなぁ、トッツアン。
マネして越後屋に、ソ〜ッと寄り添い手を握ってやろおとしたら
「何すんじゃ!!
このくそ暑いのにぃ〜・・近寄るなぁ!! シッシッ・・。
人が見てたら、どうすんじゃ、恥ずかしい。」

エエイイィィッッ・・・情緒の無いヤツめ。
こおいう場合は「あっ・・な・何をなさいます、おでぇかんさま。おたわむれを・・」と、気の利いた事を言うのが、世間の常識なのにぃ・・
えっ?・・そんな常識は世間に無かったのですか?
す・すみません・・私が世間知らずでした・・シクシク・・・。
帰ってネットでこの道祖神を調べてみると、手を握ってるのではなく「トッツアンがカーチャンの着物の裾に手を入れようとしたが、カーチャンが「なにも、あぁたぁ〜・・こんな所で・・今晩まで待ってね」と、トッツアンの手を遮ってる形」らしい。

おぉぉぉ・・・そお言われてみれば、手を握ってるのではなく、そんな風にも見える。
残念じゃったのおぅ、トッツアン・・あせるな、落ち着け。(^O^)
良かったなぁ、あの時、越後屋にそんなマネしなくて・・。
いきなりそんな事したら、ドツキ回されて、ボコボコにはり倒される所だった。
地図では「沢底」としか地名が出ていませんが、今まで来た集落には「子字」が有るようで、ここは「入村」というらしい。
この「日本最古」という単語に引かれて、わざわざここへ寄ってみたので、こおいう機会が無いと、ここへ来る事は一生無かったと思う。
ちなみに「永正2年(1505年)」の造りらしく、関ヶ原の戦いよりも古いでんなぁ。
少し戻って「日向」という所から、「鴻之田」に向かう山越えをする時、民家にオバハンがいたので念のため「この道は諏訪へ抜けれますか?」と聞いたら、行けると答えてくれます。
なんせ案内板も無い、初めて行く所を地図だけを頼りに行くのだから、一つ間違った道を行くとドエライ事になり迷子になっちまいますからなぁ。

しかし、その民家の付近からは、今まで経験した事のないような、もんの凄い急坂でしてなぁ。
自転車を押しながら、あんまりのキツサに100mほど行ったS字カーブの日陰で一休みしました。
休んでるとカーブの所に山道が有り、道沿いに石仏等が10体ほど並んでるのに気付き、きっと旧道だったのでしょう。

一休みしてから出発。
1kmほどの距離を高低差100m位の山越えは、傾斜30度ほどありキツかった。
冬になるとこの坂道は車がスリップして上がれず、下りの時は、どこかにぶつかりながらでないと下れないと思う。
四国で例えると出釈迦寺・奥の院である、御大師さんが幼少のみぎりに山から飛び降りたと伝わる我拝師山へ上った坂道と同等にキツく、最近では経験しなかった一番の傾斜と思う。


注意
このホームページは、サーバーを変更したので以後更新を行いません。
無料サーバーを使用しているため、更新が行われないと、数ヶ月後に削除されるらしいです。
お手数ですが「第一部」と称していた「遍照の響き」に移動して頂き、以後はそちらの該当ページを参照してくださるよう、お願い致します。
H23.10.27 亭主 拝 m(_ _)m ハハアァァァ〜・・・