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H21.8.20 巡礼
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尺八を携え歩いた越後三十三観音霊場記



 「道の駅 国上」からテクテク・・・
道の駅「国上」

 「長辰」集落より旧道に入り、少し行くと道端に、あんまり手入れされてないような、小さいお堂と地蔵さんがありました。


 お堂の彫り物がチラッと見えたので、蜘蛛の巣を払いのけながら、お堂に近寄ると「金比羅神社」と書いてあります。


 小さいお堂ながらも、龍の彫刻が精巧に出来ており、朱を塗ったあった跡が有り、由緒が有るのかもしれん。


 また少し歩くと、道端に石柱に屋根付きの地蔵さんが座ってます。

 
 ふと、対面の家を見ると入口付近に「山の神参道」と彫った石碑があるので、どこが参道?と思い付近を見渡しましたが道らしい物は無く、そのまま行くとどうみても人家に入るような感じです。


 国上山には「山の神参道」という道が有るらしいが、人家に入ってまで尋ね探そうとは思わず、そのまま歩きました。


 観光マップには「助七のお地蔵様」「林照堂筆塚」ちゅうのが有るらしいが、歩いていても見あたらず、ひょっとしたら、先程見た「山の神参道」前のお地蔵さんがそれだったかもしれん。


 「麓」集落付近を歩いてると、昔の藁葺き屋根のようなのが見え、石柱も立っています。


 それが「林通寺」かと思いましたが、石柱はそおだったが、藁葺き屋根の家は、全く関係ない一般の家で、林通寺は石柱よりも奥まった所に有るよおです。


 再びテクテク歩くと「旧武石家住宅」という看板が有り、話しの種に寄ってみました。

旧武石家
 奥まった所にいかにも、それらしい古風な民家が有り、入口に「受付は向こうです」と書いてあるが、「向こう」と思われる側の小屋にはだれもおらず、受付らしくもありまへん。


 わからんので、そのまま茅葺き民家の周囲をデジカメで撮りました。


 周囲をウロついてると、先程の小屋の後ろにもう一つ建物が有り、そこでジサマ二人が雑談していました。


 わかりにくい所に受け付けが有るなぁ。
 せめて矢印か何かで「受付」の場所へ導かないと、初めて来る人はわからんでぇ。


 どおかすると、金払わずに勝手に見て行く人も居るかもしれんでぇ。


 戸を開けて「受付」に入ると、笠を被ってたもんだから、近所の野良仕事をしてるオッサンと間違われた。


 まぁ、しかたないわなぁ。
 取りようによっては、そんな風に見えるんだから。


 千円札を出すと、初めての客だったからなのか「細かいのがないか?」と言われ、小銭入れから100円玉と50円・10円玉を取り混ぜて拝観料200円払った。


 完全に賽銭ですなぁ・・(^O^)


 家の中までも見ようとは思ってなく、外だけ見ればそれで良かったのですが、受付のジサマも役目上のメンツと立場が有るらしく、帰ろおとしたが、どうしても建物に案内してくれます。


 戸を開けて中に入ると、囲炉裏に薪がくべられて、部屋の中が煙で充満してます。


 この煙を出して燻してないと、屋根の萱材料が虫に食われてダメになるらしいですねぇ。

旧武石家 内部
 300年前の建物だそおで、土間には塩を入れて固めてある。


 今は戸が入っているが当時は戸なんか無く、ムシロが戸の変わりで、冬等はスキマ風で寒かったでしょうねぇ。


 この煙が充満している部屋で、明かりも少なく、生活するのはタイヘンだと思う。


 客間も有りましたが、隅っこの所に板が敷いてあるだけの部屋です。


 客でも無いその他大勢の家族は、囲炉裏を囲んでワラジでも作りながら、今年のネングをどうゴマカしてやろおか・・・庄屋さんちのドラ息子がどうした・・とか話していたんでしょうねぇ。









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           H23.10.27  亭主 拝 m(_ _)m ハハアァァァ〜・・・