H21.7.1 巡礼
H22.8.21 UP





長岡市に「山本五十六記念会館」と言うのがあり、山本元帥がこの長岡市出身というのは最近まで知らなかった。
記念会館は民家の隙間に有り、会館も民家のような形をしており、道端に看板が出てなかったら、わからんやろなぁ。

500円払って中に入ったが、手紙類が多く、あんまり見て面白い物は無かった。
あえて目に付くのは、撃ち落とされた長官機の左翼半分だけが展示されており、弾の跡も生々しく、側に長官が座っていたという座席が飾ってあった。
館内は写真撮影禁止だったので、写真は有りません。
それなりに入館者は有るようです。

近くに「山本五十六記念公園」というのが、通りを一つ隔てて有るので行ってみました。
普通のチッコイ公園なんですけれど、「山本元帥生誕の地」と看板が立っており、生家が復元されてます。
しかも、うれしい事に生家の中へは、タダで入れて自由に参観可能。

公園内には水の無い池があり、正面には元帥の胸像が建っています。
ネットで調べると、この胸像は本当は全身が有ったらしいです。
しかし、終戦後に進駐軍に壊されると思い、真っ二つに折って霞ヶ浦に沈め、後年に上部分を引き上げて、ここに飾ったらしいですが災難でしたねぇ。



生家の玄関から「こんちわ」して入り、左の部屋に元帥の白い石膏胸像がデェ〜ンと置いてあります。
机の上に記帳ノートが有り、けっこう県外からも来ており、やっぱし山本元帥は今も変わらず人気が有りますねぇ。



台所とかトイレも復元されております。
昔の家だから天井が低いのですが、階段を上がった二階の部屋は、もっと低く、ぶら下がってる電球の笠に頭がぶつかる程の低さだった。


階段を上がった右側の二畳ほどの部屋が、元帥の勉強部屋だったらしいです。
こんな狭い部屋でクーラーも無く、よぉ〜勉強されましたなぁ。
下の部屋には2枚の大きいパネルが置いてあり、そのパネルの中には、だいぶ拡大コピーを重ねたためか、もんのすごく読みにくかったが、一つは天皇が終戦放送された「朕深く世界の大勢と帝国の現状とに鑑み・・耐え難きを耐え忍び難きを忍び・・」という有名な原文を拡大コピーしたものでした。

もう一つのパネルは真珠湾奇襲の暗号電報の拡大コピーで、これもコピーを重ねたためか少し読みにくい。
電報は3通有り、真珠湾奇襲時の激励電報は「皇国の興廃はこの一戦に有り・・」と巷では云われてますが、それは日露戦争の時の話しのようであり、ここでは「皇国の興廃繋り此の征戦に在り・・」と書いてあるよおです。
この激励電報が1通、他の2通は、有名な「トラトラトラ」と戦果報国の電報でした。

電報の「発」が「赤城」となっているのが臨場感がありますねぇ。
ちなみに「トラトラトラ」の電報に「我奇襲に成功せり」と書いたのは、だれが書いたのか、わからないらしいですねぇ・・言葉だけが有名になっちまったが。
通常ならば電報には、そんな事を書く事がなく、後にだれかが付け加えて書いちまったという事を何かの本で読んだ事があります。
「海ゆかば」という歌は、昔は第二国歌と言われていたらしいです。
今、60才代の人達でも、この歌を唄える人が何人居るのかなぁ。
若い人達は、もっと知らないと思う。
σ(*_*)は正式に教わった事が有りませんが、若い時に楽譜を見て覚えました。
美しく優しいメロディなんだけど、お花畑の人達は、絶対に歌いたくないだろねぇ。(^O^)

注意
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無料サーバーを使用しているため、更新が行われないと、数ヶ月後に削除されるらしいです。
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H23.10.27 亭主 拝 m(_ _)m ハハアァァァ〜・・・