H21.5.17 巡礼
H22.7.3 UP




「浦佐」から魚野川沿いに国道をテクテク・・
「町屋入口 ← 」と書いてあるバス停近くから線路を渡って旧道へ入ります。


おそらく鉄道が施設される前は、「浦佐」から「八色」の旧道が有ったのでしょうが、鉄道で旧道が無くなったのでしょう。

真っ直ぐの旧道を「五箇」より「八色駅」に向かってテクテク・・・
「八色駅」で休もうかと思い駅近くの線路まで行きましたが、無人駅の小さい待合室だけのよおです。
地図を見れば「普明神社」というのが近くに有り、八色駅で休むよりそこまで行って休む事にしました。

T字路に「普明神社」と看板が親切にも立っており、よっぽど有名な神社なのかしら?。
栃原峠に向かって歩くと、左側に木で出来た鳥居が立っており、そこが善明神社だと思い、看板が出ているわりには、言っちゃあ悪いが小さい神社だなぁ。
その鳥居手前に木陰が有って、そこの石に座って休みました。
地図に普明神社の鳥居マークが無く、神社名だけが右側に書いてあり、てっきり右側に神社が有ると思ってたが左側だなぁ・・・まあ地図もたまには間違うじゃろう。

と思いながら石に腰掛けながら、前方を見ると200m程先の右側に看板が有り、目の良い越後屋が言うには、どうもそこが目当ての普明神社らしい。
まぁいいや・・どこで休んでも同じなんだから。
出発してその看板を見ると、やっぱし「普明神社」と書いてあり、そこより坂道を上がった所に神社が有るらしいが、休んだばかりなので行かなかった。
帰ってネットで調べてみると、この普明神社ちゅうのは「神道大教」という系統らしく、明治政府が神道の総本山として作ったとか、どおとか、こおとか・・・あんまり、よぉ〜わからん。
しかし、何であんまり知られていない場所の、こんなサミシイ所に神社を造ったのかな?

神霊を感じる人が居て、ここに定めたのでしょうか。
もっと山奥深い場所なら、雰囲気的にそおかもしれんと納得するのだが・・
車道をテクテク歩いて行くと、やがて瑞雲橋が有り、川沿いに車幅の道が付いてます。

地図では、この川沿いの道が栃原峠への道になっていますが、事前にネットで調べた時、その先に有る防砂堤の箇所で道が無くなっているらしい。
そのネット情報では、二人の人がこの栃原峠の旧三国街道を歩き、道が無くなっているのを知らずに防砂堤の所まで行ったそうです。
一人は防砂堤から上に車道が見えたので、急な山肌を草木を掻き分けて無理矢理、車道目掛けて登ったそおで、もう一人は、引き返して車道を歩いたと書いてありました。


もしネットの時代でなく、またネットで事前に調べても、その記事を見つける事が出来なかったら、σ(*_*)らも同じ運命をたどっていたかもしれません。
橋を渡って車道を歩き、標高が高くなると下に峠道が続いてるのが見えます。
あれ?・・道が有るじゃん。
でも、道は向こう側の尾根に向かっています。

少し行くと、問題の防砂堤が見えましたが、その付近には確かに道は無く、草木が鬱そうと茂っています。
さらに少し歩くと、車道から旧三国街道の栃原峠道へ入る箇所。
これもネットで調べてなかったら、この入口がわからず、完全に行き過ぎて車道をそのまま歩いていたと思う。

なんせ入口付近には、看板も標識も何も無いんだから・・・
簡単な標識か看板位は立てておいて欲しいなぁ。
その付近から、先程の防砂堤が遠くに見えます。
それを見ると、防砂堤からこの車道の位置まで、とても草木を掻き分けて登ってくるコンジョはσ(*_*)には無い。
σ(*_*)らだったら、たぶん防砂堤付近で道が無くなってるのがわかると、途方に暮れて泣いてたかもしれんし、今までの経験上、おそらく越後屋と互いに「お前が悪いんじゃ」と罪の擦り付けあいをして、ケンカをしながら引き返しただろおなぁ。


車道から入った峠道は、いかにもそれらしい山道でしたが、あんまり人が歩かないためか、下草が生えており、草が茂る時期には歩きづらいかもしれない。
それでも道端に石仏が道端に有り、さすが旧三国街道。
「栃原峠」に着いて、付近を写真に撮っていると、先を歩いていた越後屋が「キヤァ〜!!」と言いながら20mほど離れていたσ(*_*)の所まで走ってきました。


「どおした蛇でも居たか?」
「もお少しで大きい蛇を踏む所で、とにかく、あぁたの所まで逃げれば追いかけて来ないと思った」
何でσ(*_*)の所まで来たら、追い掛けて来ないんじゃ?
コンジョの有る蛇だったら追い掛けて来るでぇ。

そいでもって、そんな事になったらσ(*_*)はお前を人身御供として置き去りにして、そのスキにσ(*_*)だけサッサッと逃げるがなぁ。
むしろ蛇の方が、越後屋の人相風体を見てビックリして逃げちまう・・と思ったが、それを言うとケンカになるので、言わずに鼻先で「フフン・・」と笑った。
すぐ近くに先程の車道が走っており、この時点では地図にはこの車道は記載されていませんでした。
栃原峠付近には、茶屋跡・井戸跡があり、その奥に稲荷神社が有り、そこで一休みしました。
鳥居の所に「双体道祖神」の標識が有りましたが、それらしい石仏は無く、だれか盗んで行ったのかな?

稲荷神社から山上に向かって山道が有り、電波塔への道のようで、ネットで調べた時には栃原峠を通る人はそちらのコースを歩くようです。
σ(*_*)らのように旧道・峠道にこだわる人は、そのまま旧三国街道を歩くようで、ネットで調べた限り、この先の街道コースを通った人は先に記載した内の一人だけで、今ではもう余り歩かれないよおです。

注意
このホームページは、サーバーを変更したので以後更新を行いません。
無料サーバーを使用しているため、更新が行われないと、数ヶ月後に削除されるらしいです。
お手数ですが「第一部」と称していた「遍照の響き」に移動して頂き、以後はそちらの該当ページを参照してくださるよう、お願い致します。
H23.10.27 亭主 拝 m(_ _)m ハハアァァァ〜・・・