H20.5.6 巡礼
H22.2.13 UP




椎谷観音の入口付近に閻魔堂が有り、そこに自転車を置かせてもらいました。
閻魔堂内の着物を剥ぎ取るオババは、どんなオババなのかと楽しみに見に行ったら、見るからに強欲そうな顔してます。



そのためか閻魔大王さんを始め、その配下一同の方々が、もんのすごく善良そうな顔に見えるのは、σ(*_*)だけだろか・・。
赤い山門には、仁王さんも番をしていました。

この山門から観音堂までには長い石の階段があり、そこには涙無くして語れないカワイソーな話しがありましてなぁ。
むかし・・むかあしぃ〜・・・、正明寺(刈羽村)という所に、そりはそりは力が強く、おまけに乱暴者の男が居て、村人にケンカ吹っかけては酒代を巻き上げとったそうな・・早い話がカツアゲしとったんですなぁ。

その乱暴者がある祭りの晩、酒に酔って寝ておると、村人達がその男を縛って池に投げ込んだそおですがなぁ。
人から恨まれると、オトロシイでんなぁ。
あまりにも嫌われてる人が、夜、帰る途中、後ろから毛布を被せられて、皆から袋叩きにあったという話しを聞いた事があります。
トッツアンも、夜道には気ぃ付けなされや・・(^O^)

乱暴者は池に落とされて溺れ死ぬかと思ったのですが、不思議な事に、なぜか助かっちゃったのですねぇ。
乱暴者は深く反省して、ここの観音堂で坊主になり、18年かかって300段有るこの石段を一人でセッセッと作ったそうな。

300段を18年で割ると・・えっとおぉぉ・・・1年に約17段作った事になりますなぁ。
そいで完成して祝賀会をやって、平和に余生を過ごせば良いものを、そこがσ(*_*)らのような信心の足りん人間と違う所で、その後は食を断って穴蔵(「頓入沙弥入定窟」)に入って亡くなったそうな。

いくら悪い事をしたとしても、何もそこまで反省努力して、死なんでもええと思うが・・・
生きておれば、もおチット世のため・人のためにもなる事をされたろうに。
やっぱし信心なんでしょうなぁ。
「頓入沙弥入定窟」から見る、椎谷の町並の景色は最高でした。

そんな、たいへんな思いをして作られた石段を、ヒーコラ言いながら上がります。
今は観音堂近くまで車で上がれるので、この階段はあんまり使用する人がいないためか草が生えてます。

近くの椎谷岬の国道が地震被害で通行止めになっていたので、この石段はどうなってたかと心配しとったんですが、さすが信心の有る人が作られた階段は何ともありまへん。
観音堂では境内を一人のバサマが掃除しており、今時珍しい大きな茅葺きの屋根です。



尺八を取り出して参拝しようとした時に、村人のバサマが杖をついて上って来て、バサマ達が話し始めました。
木々に囲まれた静寂な境内でウグイスが鳴き、微かに潮騒の音が聞こえ、落ち着いて吹ける場所でした。

同じ境内に神社が有り斜めになっており、木で支えてあります。
観音堂はそれほど被害は無かったよおですが、同じ境内に有るこの神社は中越沖地震で被害を受けたのでしょう。
境内を一巡りすると「不動堂まで10分」と書いた道標が有り、小道が続いてます。

ううむぅぅ・・行ってみようか、どうしょうか・・
観音堂に付属している庫裡の玄関で、話し込んでるバサマ二人に道の状況などを聞くと、どおやら掃除していたバサマがここの管理をしとるようです。
「さっき、アンタが尺八吹いてたのかね?
いつもここで吹いてるんかね?」

「いえ、今日始めて、ここへ来て吹きました。」
「はりゃあぁ〜・・笛の音が、時々聞こえるから、アンタが吹いてるんかと思った。」
聞いてみると笛か尺八がわからんが、だれか麓の「椎谷」集落で吹いてる人がいるらしく、時々音が聞こえると言います。

不動堂への道を聞くと、そのまま自転車を置いた閻魔堂まで行けるらしく、小さいながらも滝が有るというので、それならば・・と行ってみる事にしました。
「わかれ道があるけれども、左へ行って・・あとは道なりに行けるじゃろう。
瓢箪池に落ちねぇよおにな。」と笑いながら言います。
なに・・池が有るの?・・そんな落ちるような危ない道なのか・・

小道を降りて行くと、道が二手に分かれており石標側に「不動堂へ」と書いた立て札が有りました。
ふむふむ・・左へ行けというのは、この事かと思い進むと、溜め池のようなチッコイ池があり、これが「ひょうたん池」かと思ったら、木の側にちゃんと立札が有り、親切ですなぁ。

池に落ちるような危ない事はなく、オババもなかなかの役者やのおぅ・・・。(^O^)
小道をさらに進み、山の麓付近に来たと思ったら堂が有り、そこが不動堂でした。

堂の裏側へ行く道から滝を見に行くと・・
有ったには、有ったが・・ホンマにチッコイ滝と言うか・・水の滴り落ちというか・・・
オババが「先の中越沖地震で、滝の落ち口が崩れた」と言ってたが、もうチット水量が有ればなぁ。

それでも「不動」と名付いてるからには、ここで滝修行した人が居たかもしれまへん。
不動堂に参拝帳が有ったので見ると、毎日地元のだれかが来てるようで、たまに県外の人も来てるようです。
参道を過ぎると小さい屋根が有り、そこに畏れ多くもカシコクもモッタイナイ、明治天皇が食される御飯でも炊いた時に使用したらしい「明治天皇御膳水」と書いた石碑が有り、湧き水というか水溜まりが有ります。

当時の事なので、ちゃんと水質検査したのかどうか、わかりまへんが・・柄杓も置いてあるので、最近でもだれかこの水を汲みに来る人がいるのかもしれん。
側にカルタ風の立看板が有り、そこに「お茶水井戸」と書いてありました。



注意
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H23.10.27 亭主 拝 m(_ _)m ハハアァァァ〜・・・