H20.5.3 巡礼
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「米山〜柏崎〜刈羽〜椎谷〜赤田北方」区間 地図 

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尺八を携え歩いた越後霊場記



 旧道を歩いてると、民家の敷地?に石仏が並んでいます。
 おぉぉ・・さすが旧道・・・


 石碑に何か彫ってあるんですが、よぉ〜わからず、「六十六部・・うんぬん・・」と書いてあるようなので、σ(*_*)みたいにホツッキ歩いてた人が何かやった碑だと思う。


 草地には他にも石仏があり年号なんぞを確認したかったのですが、私有地のようなので、入りまへんでした。


 テクテク歩くと、神社と向かいあって寺があり、別に寺に入る気はなかったのですが、入口に案内板が有ったので読んでみると「勝願寺茶室」と説明書きがあります。

勝願寺勝願寺
 寺はどうでもええが、茶室ならば庭作りの参考になると思い、境内の横から入り墓付近をウロつきましたが、茶室らしいのが見あたらないので諦めました。


 場所くらい示す看板が有っても良いと思うが・・
八坂神社

 鵜川の橋を渡って「八坂神社」へ行き、昔から有るようで、北国街道を行き来した人を見守ったと思います。


 この神社の彫り物は、鶴にのった人が笙を吹いており、下方の彫刻も笙を吹いてる人と、それをハハアァァ〜という風に聞いてる物で、よっぽど「笙」に思い入れが有るんでしょうなぁ。
八坂神社八坂神社

 彫刻の写真をデジカメで撮ってると、家族連れのジサマから「ご苦労様です」と言われ、やっぱし坊さんか、そのタグイの人と間違えられてるようで・・・・・ヘッヘッヘッ・・・

ねまり地蔵
 残念な事に、この写真を撮った数日後に、この神社に不審火が有ったと新聞記事に載っており、果たして撮った彫刻は無事だったかどうか・・・


 少しは都会らしい道を歩いてると道端に「ねまり地蔵」という、岩に彫ったのか、風化して出来たのか、なかなか味の有る顔した石仏があります。


 さらに歩くと「立ち地蔵」というのが道端に有りますが、こっちの方は屋根が有るにもかかわらず、石仏表面が崩れており、単なる石・・と言われたら、そおかなあぁ・・と思い、ハズレてないような・・・
 そのためか石仏も恥ずかしいのか、頬かむりしてます。
立地蔵立地蔵

 駅前通りを横目に見て少し歩くと「閻魔堂」が道から奥まった所にあります。


 この閻魔堂は、新潟の三大閻魔堂の一つになっており、先日上越の方で見た閻魔堂と、もう一つの閻魔堂は無くなったらしい。
閻魔堂

 中越沖地震で被害を受けたと聞いてたましたが、入口付近だけ新しくなっており、内部は昔のままでした。


 さっそく、ゴオツクババァ・・ではなく、スナカケババァ・・でもない・・
 ええっとおぉぉ・・六文銭を持たないビンボー人の死者の着物を剥ぎ取るババァ・・
 そおそお・・「奪衣婆(だつえば)」と言うらしいでんなぁ。

閻魔堂内
 そのババアを探したんですが、地震で壊れっちまったのか、見渡したところ居ません。


 閻魔大王や他の配下の人達は、ちゃんと勢揃いして一生懸命に仕事してるのにぃ・・


 ゴールデンウィークなので有給休暇を取り、どこかへ遊びに行ったんでしょうか?
 それとも昔から居なかったんかな?


 家にいつも居るオババは見たくもないんだけど、ここのオババに会うのは楽しみにしていたんだけどなぁ。
閻魔堂内

 閻魔さん達の表情は、どこもあまり変わり映えしないが、このオババの姿・表情だけは、どこの堂でもそれぞれ特徴が有って違っており、何ともいえん味わいがあります。


 今まで一番リアルで、オトロシ気だったのは秩父霊場で見たオババだった。

 これは家に居るオババよりも、オトロシ気だった。








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           H23.10.27  亭主 拝 m(_ _)m ハハアァァァ〜・・・