H20.5.3 巡礼
H22.1.23 UP





旧道を歩いてると、民家の敷地?に石仏が並んでいます。
おぉぉ・・さすが旧道・・・

石碑に何か彫ってあるんですが、よぉ〜わからず、「六十六部・・うんぬん・・」と書いてあるようなので、σ(*_*)みたいにホツッキ歩いてた人が何かやった碑だと思う。
草地には他にも石仏があり年号なんぞを確認したかったのですが、私有地のようなので、入りまへんでした。
テクテク歩くと、神社と向かいあって寺があり、別に寺に入る気はなかったのですが、入口に案内板が有ったので読んでみると「勝願寺茶室」と説明書きがあります。


寺はどうでもええが、茶室ならば庭作りの参考になると思い、境内の横から入り墓付近をウロつきましたが、茶室らしいのが見あたらないので諦めました。
場所くらい示す看板が有っても良いと思うが・・

鵜川の橋を渡って「八坂神社」へ行き、昔から有るようで、北国街道を行き来した人を見守ったと思います。
この神社の彫り物は、鶴にのった人が笙を吹いており、下方の彫刻も笙を吹いてる人と、それをハハアァァ〜という風に聞いてる物で、よっぽど「笙」に思い入れが有るんでしょうなぁ。


彫刻の写真をデジカメで撮ってると、家族連れのジサマから「ご苦労様です」と言われ、やっぱし坊さんか、そのタグイの人と間違えられてるようで・・・・・ヘッヘッヘッ・・・

残念な事に、この写真を撮った数日後に、この神社に不審火が有ったと新聞記事に載っており、果たして撮った彫刻は無事だったかどうか・・・
少しは都会らしい道を歩いてると道端に「ねまり地蔵」という、岩に彫ったのか、風化して出来たのか、なかなか味の有る顔した石仏があります。
さらに歩くと「立ち地蔵」というのが道端に有りますが、こっちの方は屋根が有るにもかかわらず、石仏表面が崩れており、単なる石・・と言われたら、そおかなあぁ・・と思い、ハズレてないような・・・
そのためか石仏も恥ずかしいのか、頬かむりしてます。


駅前通りを横目に見て少し歩くと「閻魔堂」が道から奥まった所にあります。
この閻魔堂は、新潟の三大閻魔堂の一つになっており、先日上越の方で見た閻魔堂と、もう一つの閻魔堂は無くなったらしい。

中越沖地震で被害を受けたと聞いてたましたが、入口付近だけ新しくなっており、内部は昔のままでした。
さっそく、ゴオツクババァ・・ではなく、スナカケババァ・・でもない・・
ええっとおぉぉ・・六文銭を持たないビンボー人の死者の着物を剥ぎ取るババァ・・
そおそお・・「奪衣婆(だつえば)」と言うらしいでんなぁ。

そのババアを探したんですが、地震で壊れっちまったのか、見渡したところ居ません。
閻魔大王や他の配下の人達は、ちゃんと勢揃いして一生懸命に仕事してるのにぃ・・
ゴールデンウィークなので有給休暇を取り、どこかへ遊びに行ったんでしょうか?
それとも昔から居なかったんかな?
家にいつも居るオババは見たくもないんだけど、ここのオババに会うのは楽しみにしていたんだけどなぁ。

閻魔さん達の表情は、どこもあまり変わり映えしないが、このオババの姿・表情だけは、どこの堂でもそれぞれ特徴が有って違っており、何ともいえん味わいがあります。
今まで一番リアルで、オトロシ気だったのは秩父霊場で見たオババだった。
これは家に居るオババよりも、オトロシ気だった。

注意
このホームページは、サーバーを変更したので以後更新を行いません。
無料サーバーを使用しているため、更新が行われないと、数ヶ月後に削除されるらしいです。
お手数ですが「第一部」と称していた「遍照の響き」に移動して頂き、以後はそちらの該当ページを参照してくださるよう、お願い致します。
H23.10.27 亭主 拝 m(_ _)m ハハアァァァ〜・・・